【6月23日】東雲WS

こんにちは。
M1野知です。

志村研究室では、現在早稲田大学の佐藤滋研究室と合同で福島県浪江町の復興計画・被災者支援を行っております。


報告が遅れましたが、6月9日(土)に早稲田大佐藤研が南相馬で行ったワークショップ(以下WS)の補助をM1野知・倉持がさせていただきました。
南相馬WSでは、比較的浪江町に近いところに避難されている方々が来てくださり、
浪江の模型を囲んで復興について熱い意見交換がなされました!
WSのはじめでは、浪江へ帰還することをあまり考えていなかった方が、約3時間のWS後には「やっぱり浪江に帰りたい」と仰っていたのが印象的です。



それを受けまして、6月23日(土)に東京への浪江からの避難者の方々を対象に東雲にてWSを行いました。
佐藤研の考えた、浪江町復興のための73のビジョン「73絵」の案と復興の段階シナリオと模型をお借りし、
東京へ避難された方々に合わせて、志村研でアレンジをして行いました。


ここで少し、浪江町の紹介です。[引用:ウィキペディア]

日本の福島県双葉郡にある町。同県内の太平洋沿岸地方を成す浜通り地方の中央部近くに位置する地域の一つ。
町内東部の請戸漁港は、県内最東端にあたる。
2011年3月11日、東日本大震災で被災。被害の一つとして発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、
同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した(避難民と避難所は他にも散在)。


さて、東雲WSについてですが、
私達が設定した人物の「役」に成りきっていただき「めくりめくりカード」という段階を追ったシナリオにそって、
震災直後〜3年、3〜20年、20〜30年と3段階で浪江町復興をみんなで考えていました。

二本松や南相馬などの東京に比べ浪江に近いところに避難された方々と、東京に避難された方々では、
やはり自身の状況などが違うので、それぞれ個別の支援や復興の方法、浪江との関わり方を考えなくてはならないと実感しました。



全てのことは書けませんが、
東雲WSで私に突き刺さった言葉が、
「何もしなかったら、地図から「浪江町」の文字が消えてしまう。せめて地名は残したい。」
・・・でした。


当たり前のことのようですが、
私はまちづくりに携わることで、初歩的な簡単なことを実感できていませんでした。
私は避難者ではありませんし、故郷に入れないという状況ではないので避難された方々の本当の気持ちを完全に理解できるかはわかりませんが、
故郷に帰れない、地名がなくなる、思い出の場所がなくなると想像してみると、とても苦しい気持ちになりました。


本当の意味で、避難者に寄り添って一緒に復興を考える、支援をしていくことが大事です。